新しい時代の教育と地方創生の実現に向けて

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【要約】
本プレゼンでは、社会構造、技術、価値観の劇的な変化を背景に、従来の「適合」を重視する教育から、「創造・共創造」を育む教育へのパラダイムシフトの必要性を論じます。

具体的には、以下の点を主張します。

主体的な学び: 学習者が「自分軸」を持ち、自ら課題を見つけ、探求し、解決する学びへの転換。
対話: 多様な価値観や考え方を持つ人々との対話を通して、相互理解を深め、新たな価値を創造することの重要性。
当事者意識: 問題や課題を「自分ごと」として捉え、積極的に社会に参画し、解決に貢献する力の育成。
豊かな体験: 五感を刺激する多様な体験を通して、豊かな感性と創造性を育むことの必要性。
これらの要素を育む教育の実現に向け、教育現場における指導パラダイムから学習パラダイムへの転換を提案します。

【キーワード】
適合、創造・共創造、パラダイムシフト、主体的な学び、自分軸、対話、当事者意識、豊かな体験
指導パラダイム、学習パラダイム、オルタナティブ


〜「適合」の時代から「創造・共創造」の時代へ〜 
という副題をつけております。

他者軸から自分軸へということを意図しています。

私は、令和6年9月末まで、宇和島市の教育長をしていました。
現在は㈱宇和島プロジェクトの経営戦略室に入っています。
また宇和島クエストの研究員をしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

それではさっそく。内容に入ります。


私は55歳まで、海上保安庁で勤務していました。
30年以上の間に、様々なことを学ばせていただきました。
その中で、今に生きる最大の学びは次の2点です。

一点目 技術が職を代替する。
二点目 モチベーションにまさるパフォーマンスはない。ということです。

左上
工作船への威嚇射撃の画像です。照準はかつては射撃部門の射手の勘と経験と度胸でした。 
実際は、なかなか当たりません。
今はコンピューターが瞬時に弾道を計算し、極めて正確に照準します。
100発100中です。
熟練の射手は不要になりました。

左下 かつて、全国津々浦々に灯台守がいました。今は遠隔自動制御です。

右上 船の位置測定、かつては天測でした。今はGPSです。

右下 通信衛星が飛ぶようになり、モールス信号は不要になりました。
モールスの通信士も姿を消しました。

技術が職(役割)を代替する。そういうシーンをたくさん見てきました。

ここが今日の大きなポイントの一つになります。


伊藤英明さん主演の映画海猿は大ヒットになりました。

映画がヒットする前。
潜水士は、なり手を集めるのに苦労していました。危険でキツイからです。
訓練生の士気は高いものがありましたが、訓練はやらされの色合いを拭えない部分もありました。

映画が大ヒットとなり。
訓練生はヒーローの姿に自分を重ねます。
感動と憧れがもたらす力の大きさを知りました。

訓練生は自ら進んで過酷な訓練をするようになりました。
モチベーションにあふれる訓練では、ものすごいパフォーマンスがでます。

やらされ、強制のころとは比べようもない成長の姿を見せるようになりました。
自分自身の職務への使命感、自信と誇り。
それが、新しい伝統になりました。

やらされ(他者軸)ではなく、やりたいからやる(自分軸)。
これも今日の大きなポイントの一つになります。

30年を超える、海保勤務での学びのポイントとしては、
いずれも、技術と意識についての、
観(パラダイム)の変化に関係したものだったということになります。


世の中の、かつて経験をしたことのないような大きな変化をいくつか見ていきたいと思います。

まずはお馴染みの「人口の変化」です。

人口ボーナスから、人口オーナスへ。有史以来初めての大きな変化です。

それでは、増から減に転じると何が起こるかということなのですが。
それは需給関係の変化です。


人口ボーナス期というのは、ものすごい勢いで人の数が、
しかも、子どもや働き盛りの人の数が、増えていきます。
ですから、物は作っても作っても足りない、
サービスも提供しても、提供しても行き渡らない。

こういう状況での成功の秘訣は、既に結果を出してる人の真似をすることです。

成功事例の再現です。
一律一斉、横並び、前例踏襲が、非常にうまく機能します。
逆に言えば、失敗する可能性があるチャレンジをわざわざやる必要はない、という言い方もできます。

この人口ボーナス期は、実は、明治5年に学制が公布されてから150年間。
一律一斉の教育が行われてきた150年とほぼ時期が重なっています。
そのことで、実際に目覚ましい結果も出してきました。
欧米列強に追いつけ追い越せ、戦後の復興、高度経済成長、ジャパン・アズ・No1です。

一方、ピークを過ぎて人口オーナス局面に入ると…、
しかも若い人ほど減る状況になると、
構造は逆転します。

供給が需要を上回り、モノは余る、サービスも余る、情報も余る、そういう状況になっていきます。

こうした状況での成功の秘訣は2番煎じというわけには行きません。
正解の再現は、いわば値引き合戦の消耗戦になります。

一律一斉、横並び、前例踏襲は、リスクになり 、
これまでにない新しいものを創り出す、
「チャレンジ」が「チャンス」となります。

一人一人の良さや可能性を認識し…。
個別最適な学び…。
周りと違うことをする。その勇気。気概。
ここが問われるようになるわけですが…

さて、
私たちは、みんなと同じことを、同じやり方で、同じレベルで、同じようにできる。
そういう教育を、今もしていないでしょうか。

ところで、これまでの人口ボーナス期には何が起きていたのか。
ただ人口が増えたという「数」の変化だけではありません。
人の暮らしの「質の変化」を見てみましょう。


幕末から明治維新にかけて既に変化が始まっているのですが、
ここでは非常にわかりやすい資料があるので、戦後にスポットをあてて見ていきます。

戦後の焼け野原から10年経った、1950年代後半から、いわゆる白物家電が爆発的に普及していきます。そして白物家電については大体1980年頃にはいきわたっています。

全ての人にとっての、一律一斉、横並び、共通の問題であった、
不便・不快・非効率が、どんどん解決されました。
デジタル機器についても2010年代後半には略々いきわたっています。

ザックリ捉えれば、既に存在していた、物質的問題は、まあまあ解決されたともいえます。

一方その裏側で、高度経済成長期においては、
大量生産・大量消費・大量廃棄、公害・環境破壊、資源枯渇のような地球環境問題や
気候変動、格差、貧困、孤独といった問題。
パンデミックといった負の課題も残りました。

地球を無限の資源庫扱いをし、無限のゴミ箱扱いをして、
地球を搾取し、破壊し続けてしまった時期であると言えるかもしれませんが・・・

ここでは、万人に共通する不便・不快・非効率が、それなりに解決するとどうなるか。

そこを考えてみたいと思います。人の「欲求の変化」です。


明日のご飯の心配。雨風をしのぐ心配。
危ない、汚い、面倒くさい。暑い、寒い、遠い、遅い、不便。
これらの欲求は、いわば物質的・身体的な欲求です。

全ての人にとって、一律一斉、横並び、共通の問題であるところの、
不便・不快・非効率がある程度解決するということの意味は、
マズローでいうところの生理的欲求、安全欲求がある程度満たされるということになります。

万人に共通する低次の欲求が充たされると、
高次の欲求に移っていきます。
それはそれぞれ個別の欲求ということでもあります。

音楽、芸術、ダンス、スポーツ、アウトドア、歴史、文化、旅行…、
あるいは、いままでどおりのお金儲け。
それぞれの欲求、それぞれのコミュニティ。

価値観の多様化とはそういう意味だと思います。

別の視点からも社会の変化を見てみます。
「変化の速度の変化」です。


ソサエティ1.0からソサエティ5.0まで、
順次、次の社会に移行するまでに、要した期間を赤字で示しました。
数万年、1万5千年、200年、30年、そして今は、日進月歩です。
どんどん短くなっています。

工業社会までは、1つの時代の中に幾つもの世代が入っています。
それぐらい変化はゆっくりと時間・期間をかけて進みました。
こういう状況では、おじいちゃんの「経験」が物をいいます。

情報社会に入ってからは、1世代の中でどんどん時代が変わっていきます。
スマホを持ち歩くようになってまだ、わずか10年ちょいです。

こうなると過去の経験は役に立ちません。
想像(イマジネーション)と創造(クリエーション)が価値になります。

先生というのは、先に生まれると書くわけですが、
先に生まれて積んだ経験が役に立つとは限らない時代が来たということです。

人や組織を動かす原理の変化についても触れてみます。


経済合理性限界曲線

人や組織をドライブするある種の「動機の変化」です。

市場メカニズムや公共メカニズムでは解決できない領域がある。

一方、ボランティア元年といわれる阪神大震災。
NPOの躍進。子ども食堂、フリースクールの増加等々…。

経済合理性とは違う行動原理。
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)がないと機能しない問題。

このあたりも、かなり面白い「社会の変化」なのですが、
今日は時間がないので飛ばします。

ここまでをまとめてみます


あまり上手なスライドとは思えませんがお許しください。

ここまで見てきた、
「人の数の変化」「暮らしの質の変化」
「欲求の変化」や「価値観の変化」、
「変化の速度の変化」「動機の変化」等々…、
大袈裟に言えばいずれも人類がいまだかつて経験してきたことがなかった変化です。

そのような大きな変化の変曲点は、それぞれどこだったでしょうか。

いろんな要素が複雑にからみあいながら、
結局のところ、ほぼ同じ頃です。

そういう意味では教育観、学習観の大きな変わり目。
パラダイムの転換の適切な時期は、既に過ぎているといえます。

このことをどう受け止めたらいいのかについては、
最後の方のスライドで取り上げてみます


今、ご覧いただいているのは、 
2019年に日本財団が行った18歳の意識調査。
テーマは国や社会に対する意識です

自分を大人だと思う。
自分は責任がある社会の一員だと思う。
こういった設問に対する日本の18歳の答えが飛び抜けて低くなっています。

一番問題だなと思うのは、
自分で国や社会を変えられると思う。
そう思ってる人が5人に1人にも満たないということです。

どうしてこのようなことになってしまうのでしょうか。

物心がついて、小学校1年に上がってから、18歳で高校を卒業するまで、12年間あります。
この12年間で、彼らがやっていることは何でしょう。

家と学校の往復。
少し乱暴に言えば、勉強、部活、受験対策。 以上、終わりです。
社会との関わり、社会の大人との関わりが、極めて希薄だと言わざるを得ません。

関わる大人といえば、学校では先生、家では親。
この人たちは、子供扱いする人たちです。
大人扱いをされたことのない18歳に、あなたは大人ですかと聞けばどうなるか。

社会との関わりがない人に、あなたは責任がある社会の一員ですかと聞けばどうなるか。

社会のことが、自分ごとになってない人たちに、
自分たちで、国や社会を変えられると思うかと聞けばどうなるか。

大変皮肉なことですが、
子どもたちは、教育したとおりに育っているということなのかもしれません。

社会を変えるどころか、
自分の進路さえも、自分の価値判断の軸ではなく、模試の判定で決めていたりします。

もはや、自分の人生も、そして自分が属する社会のことも、他人ごとです。
当事者意識がありません。

このままでいいとは、とても思えません。

当事者意識ということについて、
ケネディ大統領の就任演説の有名な一説を見てみたいと思います。


国があなたのために 何をしてくれるのかを問うのではなく、
あなたが国のために 何ができるかを問うて欲しい

①の人は、他者軸の人です。
他者をあてにして、他者が何をしてくれるのかを期待し、満たされなければ文句を言う。

②の人は、自分軸を持っている人です。
当事者として、自分自身ができることをしていく。

さて、日本の総理大臣がこういうことを言ったらどうなりますかね。

幼少期には、お母さんのお言いつけを守れるのが、よい子。
学齢期には、先生の指導に従えるのが、優秀な生徒。
会社人になると、会社や上司の指示・命令に結果を出せるのが、有能な社員。

問題が2つ見えるように思います。
1つ目。お勉強と部活と受験対策。社会との関わりの希薄。そういう教育。
2つ目。他者軸に適合し、他者から評価されることが当たり前の生涯。

いずれも突き詰めれば、自分軸、当事者意識、主体性の問題です。

一方、だからと言って私は、ただ嘆いているだけでもないのです。
2つの意味で希望を持っています。 

希望の一つが次のスライドです。
冒頭申し上げた、モチベーションとパフォーマンス。
これと関係があります。

自分軸、当事者意識のことです。


写っているのは、平成30年西日本豪雨災害で被災した、吉田中学校にある復興記念碑です。

7月7日朝の被災でした。柑橘の産地で、2000箇所以上の土砂崩れがありました。
上水場が壊滅的な被害を受け、以後、真夏の盛りに2ヶ月以上にわたって水が出ませんでした。

泥を流す水がない。お風呂に入る水がない。トイレを流す水がない。
お金があっても店に何もない。
過酷な3ヶ月を過ごした、中学生が残したメッセージです。

食べれる、笑える、生きている、それだけで幸せ。そう刻まれています。

食べるものがある。笑い合える人がそばにいる。生きてる。それだけで幸せ。
被災する前日まで「ねえ新しいゲーム買ってよー」そう言っていたかもしれません
本当に大切なことは何か。彼らはそのことに気付かされました。

当たり前の毎日を送れるのは 多くの人の支えのおかげです、どんな時でもみんなで助け合おう。
そう刻まれています。

これが被災前の話なら、君、綺麗事を言うな。
そういう話です。
全国から ボランティアの人が来てくださいました。自衛隊がお風呂を用意してくれました。
いろんな人たちが炊き出しに来てくれました。

当たり前の毎日を送れるのは、多くの人の支えのおかげです、どんな時でもみんなで助け合おう。
これは彼らの心の底からの本気の声です。

真ん中にはこうあります。
吉中魂。 「明るい未来を 僕らの手で」
日本財団の18歳の答えと違いすぎます。

招かれざる現実ではありましたけれども、彼等は地域社会の現実に向き合わざるを得ませんでした。
他人事ではありません。完全に自分ごとです。
地域の当事者になりました。傍観者ではいられなかったのです。

被災した吉田中学校。通学路もずたずたです。
学校長は学校に来なくていいから、家のまわりで、できることをしなさい。
そう言いました。

瓦礫をどけたり、土嚢を作ったり。高齢化の地域で中学生は戦力です。
おばあちゃんから、おかげさまで。あんたたちのおかげで。手を合わされたかもしれません。

当然のことをしたまでですから。
彼らは口ではそう言いつつ。心の中でガッツポーズをしていたかもしれません。

家に帰れば、あんた宿題やったの?そう言われ。
学校では、何回言ったらわかるんだ!そう言われていたのです。

自分にできることをすればいい。
できることをすれば、喜んでくれたり、感謝してくれたり、認めてくれたりする人がいる。

彼らは立派な地域の当事者になりました。

明るい未来を 僕らの手で

生きることの意味。生きる力の意味を学んだのです。

次にもう一つ、社会の変化を見ておきたいと思います。
冒頭に申し上げた、技術が職を代替する。と関係があります。


有名な写真です。
左側。ストリート にずらっと並んでいるのは馬車です。この写真が1900年。

右側。ストリートに並んでいるのは自動車です。この写真は1913年。
内燃機関という人工動力が開発され、社会に実装されました。
左側。馬車産業の人はおそらく全員失業です。わずか13年で馬車は一掃されました。

新しい技術に対して、打ち壊し運動をする人たちもいました。
一方、新しいテクノロジーを勉強し、使いこなせるようにトレーニングを積んだ人は右側に移ります。

新しい技術を活用した新しい産業が生まれました。

ところで
1913年。馬はどこへ行ったのでしょうか。

社会に動力を提供する役割が、人工動力に代替され、馬は社会の表舞台から姿を消しました。

社会の問題を知能を使って解決する存在であった人間。
その知能が人工知能に代替されるとしたら、
人の役割はどのように変化していくでしょうか。

これからの教育が果たす役割は、これまでと同じでしょうか。


今ご覧いただいているのは、
現行の学習指導要領の改訂の前提となった、中教審の答申の一部です。

このような記述があります。

人工知能がいかに進化しようとも、
それが行っているのは、与えられた目的の中での処理である。

一方で人間は感性を豊かに働かせながら、
どのような未来を作っていくのか、
どのように社会や人生をより良いものにしていくのか、
という、目的を自ら考え出すことができる 。

出された問題に正解を返すというのは、まさに与えられた目的の中での処理にあたります。

それは人工知能が行うこと。

人間は、目的、つまり取り組むべき課題、今問うべきことを考え出すことができる。

いわば問いを立てることが人の役割ですよ。
そのように指摘しています。


生きる力の3本柱をちょっといじって、ポンチ絵を描いてみました。

左は知能。
正解のある問いを解く力。
言ってみれば、既にある1を10にする力。

理性、サイエンスの力。
正しく生きる力。時代に合わせる力。
こういう捉え方ができるかもしれません。

いわゆる認知能力。
そしてこの部分を使う職・役割が人工知能に代替されていくことになると感じます。

右は知性。
答えがない問いを問い続ける(探求する)力。
0から1を生む力。

感性、アートの力。
正しいではなく、面白く生きる力。楽しく生きる力。
時代に合わせるのではなく、時代を創る力。

それが持続可能な社会の創り手に求められる力です。

ただし、私も20ドル課金してGPT4を使っているのですが、
もはや、アートの分野も人工知能が実装されつつあるように感じます。

もしそうだとすると、これから一番重要になってくるのは、
上側。
自分の人生と、自分が関わるコミュニティ、社会を他人事にせず、
自分ごととして向き合える力。

時代を自分ごとにする力(当事者能力)になっていくのではないかと感じます。

そのことは自分には関係がない。そう思っている人に問いは立ちません。

自分ごとであるからこそ、当事者として問いが立つのではないでしょうか。

問いつづけるモチベーション。興味、関心、好奇心。
「学びに向かう力、人間性」
それが最大のパフォーマンスにつながる時代が来たということだと思います。

したがって、主体的な学びということになります。

次は、その主体的対話的深い学びの構造について見ていきたいと思います。


主体的・対話的、深い学びについて、ポンチ絵を描いてみました。
わかりやすくするために、思いっきり単純化しています。

2つの重なった三角が3つ並んでます。

まず左をご覧ください。
二つの三角はほぼ重なっています。
同じ時期に、同じ場所で、同じ人たちと、同じような経験をした、同じような価値観の人たち。

これって年齢で輪切りにした同学年の同級生のことかもしれません。
この人たちには、そういう意味では多様性がありません。

単一性、ないしは同質な集団。
そういう人たちが何人集まって話をしても、それは「対話」にならない可能性があります。

次に真ん中を見てください
a 君と b 君がいます。それぞれ異なる経験、異なる考え、
異なる得意不得意、異なる価値観を持っています。
a 君と b 君は、 反発していて、お互いの意見を受け入れることができません。

そんな二人は重なる部分でしか協働できません。これは妥協です。
この二人に「対話」は成立していません。

右側の三角を見てください
a 君と b 君はお互いを尊重し、認め合っています。
お互いの違うところについて、正しい、間違っている、そういうジャッジはしません。
「対話」を通して、異なる意見をお互いに取り入れ、新たな価値を生み出しています。

実はこれ。
ヘーゲルの弁証法と同じ構造です。
テーゼとアンチテーゼの対話を通じてジンテーゼを止揚する。
深い学び、新しい価値を生み出す対話のリテラシーとは、
アウフヘーベンのリテラシーのことだと言えるかもしれません。

そう考えると、主体的・対話的、深い学びというのは、
哲学的本質への原点回帰だとも言えるような気がいたします。

そして、「対話」には次の3つの段階があるそうです。

「自己との対話」「他者との対話」「社会・世界との対話」です。

一つ目は、
内省を通して自分に気付きが起こる「自己との対話」。
自分軸の自己理解。これが自己決定、自己調整、自己表現、自己実現につながります。

二つ目は、
異なる意見の奥にある相手の「願い」に気付くこと。
「相互理解」を通じて、両者が満たされる第三の道を模索し、
「共創造」する「他者との対話」。

三つ目は、
組織や社会の課題というものは、自分もその構造の一部であるという当事者意識から変化を起こしていく「社会・世界との対話」です。

自分ごと、当事者意識。
これなしにはそもそも「対話」は成立せず、合意形成も創発もないということです。

問われて解く。受け身ではだめで、
自ら問う。能動。主体性、自分軸がまず必要です。

目に見えた。耳から聞こえた。 そういった受け身の関わりばかりではなく、
「身体性を伴う五感からの「知覚」と喜怒哀楽の「感情」が統合された「体験」」を通した、
リアルの関わり。
このことが「自分ごと」「当事者意識」を持つことの必要条件であるように思います。

そのような「豊かな体験」は、教室の中、ICT 端末のモニターからだけでは、なかなか獲得できません。

一番身近な社会である地域のモノ・コト・ヒトとの直接の関わりを通じて、自分ごととして獲得していくことが肝要であると考えます。

こういった背景と考え方で、宇和島市では教育大綱を策定し、
コミュニティ・スクールと地域学校協働活動に取り組んでいるという経緯がございます。

それが次のスライドです。


目指す教育の姿として、
一人一人のウェルビーイングと
包摂的で持続可能な地域社会の共創
を掲げ、

地域社会の現実と地域のナナメの関係の大人たちとの直接の関わりを通じて、
自分軸を持った、地域の当事者に育ってもらうことを意図して、
コミュニティ・スクールと地域学校協働活動に力を入れてきました。

令和6年8月には、それまでのCSを一歩前に進め、
幼保小中高大の学校種を越えた縦の繋がり、
産官学民の分野を越えた横の繋がり、
デジタルを活用した時空を越えた繋がり、
それによって、

これまでの
学校単位でのコミュニティ・スクールから、
地域単位でのコンソーシアムとしてのスクール・コミュニティを目指す。

そのためのキックオフの機会として、
市の協働本部と愛媛大学教育学部、一般社団法人コミスクえひめが連携し
産官学民の関係者にお集まりいただき、
コミュニティ・スクール推進フォーラムを開催いたしました。

ご関心がある方はQRコードのリンク先でご覧いただきたいと思います。

さて、このような取り組みをしてきたわけですが、
そのチャレンジが、グイグイと進んでいるかといえば、
必ずしもそういうわけではありません。

その一番の原因は、仕組みやルールというよりは、
学校や教員のみならず、社会全体の
教育観・学習観にあると思っています。

そして、実は、ここに可能性もあると感じております。


ご覧いただいているのは、京セラの稲盛和夫さんの有名な方程式です。

人生も仕事も。
その結果というのは、考え方✕熱意✕能力なんだと。

そして、
熱意と能力には、マイナスはなくプラスだけの、0から100まで。
一方、考え方は、マイナス100から、プラス100まで幅がある。

だから気をつけなければいけないのは、いくら熱意と能力があっても、
間違った考え方で、その熱意と能力を発揮してしまったら、とんでもないことになりますよということ。

社会の転換期までの考え方は、一律一斉の「指導パラダイム」でよかった。
これからの考え方は、個別最適の「学習パラダイム」になる。

そういうことです。

熱意と能力においては、日本の先生は世界に冠たるものがある。
多くの先生方と直接接して、先生を志すような人の本来的な志は本当に高い。
そう感じています。
そしてこれまでの考え方が間違っていたわけでもなかった。

社会の変化に合わせて、これまでの考え方(パラダイム)を卒業し、
新たなステージに合わせた考え方(パラダイム)に歩みを進めればいい。
ティーチがなくなるわけではありませんし、コーチなども学べばいいだけのことです。

わかってはいながら、まるで呪いにかかったように変われない。
先生たちの歩みを阻むものがあるとすれば、

それは、
個々の先生というより、学校や教育委員会、もっと言えば、社会全体という集団心理を縛る呪いではないでしょうか。

原因は3つあるように思います。

①過去の経験・成功体験。それへの過剰適応。
「べきである」「ねばならない」これが呪いとなって、縛られます。

②公教育の「公」。公平性・透明性・説明責任。これにも縛られます。

③そして他人軸。他者の目、評価が気になる。したがって適合する。
 他人軸だから呪いにかかります。そこに集団心理が働きます。

では、染み付いたパラダイムという、呪いを解くには、
どうしたらいいでしょうか。

このことについて、
広島県の教育長だった平川さんがこんなことをおっしゃっていました。

これまでにないチョイスをつくる。オルタナティブを入れる。

そのことを、ある機会に、こんな言い方をしてらして、
私は爆笑とともに、むちゃくちゃ腹落ちしました。

私だって顔にできたシミが気になってしょうがないのよ。
だけど、治そうとしたってなくならないじゃない。

そんな時はね。あたまに目立つリボンを乗せちゃうのよ。
そしたらみんなシミなんて誰も気にしないから。
あら素敵ね、そのリボン。いいじゃない。ってなるじゃない。

「シミにリボン」これが呪を解く魔法なのよ。


シミにリボン。これです。AIに描いてもらいました。

これは遊びですが、絵の才能なんか全く無い私がこれぐらいは、描けてしまうんですよね。すごくないですか。


すでに起こった未来(ドラッカー)。

不登校。中学は既に約7パーセントです。

もう少しすると、メインストリームになる可能性だってあるかもしれません。

学びの多様化学校って、公立のオルタナティブスクールのことですよね。
サポートルームって校内オルタナティブスペースのことですよね。
自由進度学習って、単元内オルタナティブラーニングのことですよね。

未来はすでに起こっています。
メインストリームが来てから動くより、あらかじめ動いちゃうのが結局は得策のように思います。


最後に本日の結論を、あらためて。
メモにしました。ご覧ください。

ありがとうございました。